家族で相棒、それは猫。〜欧州のペット観

9000km家族が離れた私が、一緒に暮らす相手。
それは、猫です。





口を開けば猫、猫、猫、の私ですので、このブログも猫色が濃くなるのは必至。
追い追い色々猫話をしていきます。

子供の頃から猫が憧れでしたが、家族は犬派だったようで、
20台半ばで初めて迎える事が出来ました。

動物愛護意識が強いこの国では。。。
(この国がどこかは、もう少しブログ慣れしてからお話しします)
ペットショップにもいないし、
路上で見かけることもほとんどありません。
自分で飼ってるか、飼ってる友達のところに遊びに行かない限りは、猫に触れることができないのです。(TωT)

母が帰国してしまって心細く、寂しかった時。
運が良いことに当時住んでたお家で、猫を飼ってました。
市内の家でしたが、都心よりちょっと外側の一軒家で、お庭で飼ってらしたのです。

一軒家と言っても、小さな中庭と大きなお庭があり、3世帯ほど対応できる建物で、お母さんとパートナー、そして息子さんたちがそれぞれ住んでらっしゃいました。
「一匹飼い出したらいつの間にか増えた」そうで、雄雌三匹がいて、年に二回、子猫を産んでいたのでした。
毎回きっちり全員貰い先が決まってましたが、すごく沢山、お友達いらしたからかな。
生まれた途端、黙っていても口コミでどんどん予約されてました。
(それから何年も後、全猫避妊手術を施したそうです。)

自由に庭で暮らしていたので、いつもどこにいるのか。
時たま見かけはしましたが、
零点下になる冬など、壁から中庭に出た煙突の上に、何匹も重なって暖を取ってたり。
目やにや鼻水見たことないので、丈夫な子達だったんですね。
実際、雄猫は24歳、雌猫は27歳まで生きてたそうです。

夏の終わりに子猫が生まれたので、1匹頂く約束をしまして、
八週間まで待ってね、と言われました。
子猫が充分母乳で育って、免疫力をつけ、
基本的な社会化が済む8週間から10週間までは母猫から離さない。
ブリーダーでもショップでも無くても、この国ではそういう常識です。

母猫のもとで育つのをちょくちょく見ながら、
待ちに待った八週間が過ぎ、やっと来たその日。
憧れ続けた猫!初めての猫!
ちょうど子猫が中庭に出てきたので、
用意したキャットフードをお皿に盛り、
私も中庭に出ました。

食べ出したところで、そう〜っと、
片手に子猫、片手にお皿を持って自分の部屋へ。
音を立てないようにドアを閉めました。

ですが、ご飯を食べ終わったその子は、
閉まったドアを見て、
にゃああ〜、
と鳴いたのです。

ああ。。。
猫も一緒にいてくれないのか。。。
と、すごく悲しくなりましたが、
もう一度鳴いたので、外に返すことにしました。

絶望的な気持ちでその姿を見送っていたら。
奥から別の子がのんびり現れたではないですか。

よし、もう一回!!

気を取り直して?
一抹の望みをかけて?
全く同じ手を使って、今度はその子を連れ込みました。
出したご飯を食べ終わる瞬間、
緊張の中見守っていると。。。。

子猫は、奥の方の寝室に進んで行き
洋服ダンスの影に入って。。。
。。。。眠ってしまいました。
私はドキドキして、心臓ばくばくです。

数時間後。
私は入り口挟んだこちらの部屋にいたんですが
目を覚ました彼はひょこひょこと歩いて
ドアの前を通りかかると、小さな声で「にゃ」と言いましたが
そのまま私の元に来てまた眠ってしまいました。

誰も側にいてくれないのか、と絶望した私に
その子は光でした。

17年間、側にいてくれました




緑あふれるその家。
家族的な雰囲気で素敵な家でしたが、私の部屋は湿気もある地階。
手狭で不便なところもあり、遅かれ早かれ一般的なマンションに引っ越す予定だったので、そうしたら、猫も完全室内飼いです。
自由に庭に出る習慣になっていたら、途中から室内だけでは可哀想。
ですから、その家に住んでいる時も、お庭には出さないことにしました。

時々窓枠に座って外を見てたので、通りかかった大家さんのお兄さんが、
「閉じ込めてるなんて可哀想」
とおっしゃいました。
私も、その姿に心が痛んでいましたが、その後を考えたら、庭に慣らすわけにはいきません。
私の事情と予定を話すと、理解頂けたようでした。
時たま、冗談とも嫌味とも取れる口調で言われましたが。

街中では基本、完全室内飼いが一般的で、獣医さんや保護活動の方も、口を揃えてそう勧めます。
お庭のある家では、外に出す方もいますが、猫たち自身が道路より庭を好んで選ぶのか。
路上を歩いてる姿を見かけることはほぼ皆無です。
夜中時たま見かけると、かなり緊張して戸惑った様子なので、どこかの家から逃げて迷った猫のようです。

昔、職場に田舎から出てきたばかりの仲間がいました。
猫を飼ってると言ったら、
「街中のアパートでどうしてるの?」
と聞かれたので、室内飼いだと答えると、
「閉じ込めた一生なんて可哀想」
とのコメントが返ってきました。
の仲間の実家で飼われているのは、豚や鶏、羊など。
自宅でソーセージやベーコンを作ったりする、昔ながらの生活を今も保つような、そんな家庭。
今でもウサギを飼って、毛皮を得ている家庭もあります。
それ専門の農家ではなく、各家庭の生活の一環としてです。
そういう家では、そこの家だけで餌をあげ、定期的に獣医さんに連れて行くような「ペット」には違和感があって、街中の飼い主が猫洋品や獣医さんにお金をかけるのを納得出来ないのも不思議はない。
動物は家畜であり、生活のために飼うもの。
彼の感覚は、昔ながらの「生活」に基づいて、実直で健全な感覚にも思えて、「ペット」を飼う自分が甘いような、贅沢なような気がして、自分がどこか恥ずかしく感じたのを覚えています。

ヨーロッパの良いところは、自分と常識、または意見が違っても、他人を責めないところです。
自分はこうだけど、この人はこうなんだ、
そう、そのまま受け止めてくれる。
他人の意見を聞いて、自分の意見を見直す機会があるけれど、自分がどう決めようと、それはその人のもの。
明らかに非人道だったり、迷惑をかけるものでない限り、自由です。

風が吹き抜け、草が揺れる。
虫や鳥が飛ぶ外の世界。
そんな景色を、猫たちに楽しませてあげたいと、しばしば思います。

外の世界は、猫にとって交通事故や病気の危険があります。
日本では、外の猫を捕まえて虐待をするケースも後を絶ちませんね。
しかしそれらは、皆、人の作る問題。
例え一生が短く終わってしまっても、猫たちは、自由に生きれる方が幸せなのかも。
毎日の餌と、医学で健康を保証しても、自由を全て奪いながら、私の側でいつまでも長生きしてほしい。
そう思うのは、私の勝手なのではないか。

自問自答を繰り返しながら、まだ答えを出せないでいます。
猫たちは、与えられた生活を、黙って受け止めながら、側にいます。


なんで「夜叉」って、夜叉らしい牙覗いてたから。



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