初めの一歩は、いつも怖い。

人生って色々。
選んだ道の延長が大体現在かな、という人もいれば、気づいたら全く予定と違ってたという人とか。

私の場合、完全に後者です。
子供の頃、家族とヨーロッパに来たんですが、いつしか皆帰国して、一人残りました。
早い目に自立して、日々の課題に追われるうち気がついたらもう半生(以上)過ぎていた。(^▽^;)

月日が過ぎるのは早いものです。
そしてその長い月日の中で、世の中は目まぐるしく変わり、私にとって一番大きな変化はインターネットかも知れません。
インターネットが無かった時代、ヨーロッパは日本から完全隔離された別世界でした。
あんなに苦労して諦めた日本が、気づいたら、目の前のコンピュータ画面の中に来ていたのです。

一緒に毎日過ごしたクラスメイトが、
私を思い出して手紙をくれるのを、
黙って待つしか無かったあの時。
今では、SNSで他愛のない一言をかける事が出来て、その場で会話をしているが如く、すぐに返事が来ます(時差はあれど、ですが)。
それだけか、ネットを通じて、全く知らない不特定大勢の方々とコミュニケーションも取れるんですから。


住めば都。
全く違う環境に苦労したとしても、何十年も暮らせば慣れるものです。
言葉の不自由や、習慣の違いなどに戸惑う事も、無くなって久しい。
でも。
人生初めの数年は、一番深く定着します。

生まれた国と、育った国と。
二つ故郷があるじゃん、と言えればいいですが。
現実は白黒の間に大きな灰色のグラデーションが。
二つの故郷であり得るはずが、どちらも違うとも言えるのです。

この先、どこでどう暮らしたいか。
何をして暮らしたいか。
人生の終盤をどこでどう迎えたいか
誰にでもあるミッドライフクライシス。
私の場合、選択肢が海を挟んでいて、選ぶのにとてつもなく勇気が要ります。

でも。
時の流れは、今考えられないような可能性を沢山秘めてますよね。
封筒が二週間かけて飛んでいかなくても、1分ごとに数百円みたいな電話をかけなくても、無料同然で顔を見ながら会話ができるようになったように。

良く知ってる筈の故郷がウラシマ過ぎて、ちょっと怖いのだけど。
日本に帰りたくてたまらなかったのを、いつしか諦めて、いつしか遠い国での生活に慣れて。
人生の終わりに目が向くようになった今、人生の始めを過ごした日本に、帰りたい気もするのです。
諦めた筈でも、手が届くようになったなら、また近寄ってみれば。
地理的な「距離」は普遍でも、感覚的な距離が縮まった現在なら、
失いたくない物も失わずに済むかも知れない。

今の生活の価値観、住居、職業、ひとつづつチェックし直して、
自分がこれからしたい生活にアプローチして行こうと思うのです。

このブログはそのための「のぞき窓」。
誰が読んでくださるかは分かりませんが、欧州生活のあれこれや、大好きな猫との生活、こちらと日本の社会や価値観について思ったことを、細々呟いて、日本の皆様に話しかける練習と言いましょうか。

誰に分からなくても、これが私の一歩歩いて二歩下がる、人生軌道修正なのです。

よければ、見守ってください。


知ってる世界はしんどくても長く歩き続けられるけれど、未知の世界は怖くていつまでも眺めるだけ。

でも、そのままでは何も変わらないから、とにかく一歩。














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